富川ギター教室〜クラシックギターに関する読み物〜
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スペイン・ギター留学記
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スペイン・ギター留学記それから〜迷い私は普通の大学生として東京で一人暮らししていました。学校はもっぱら授業のみでて、 友人との付き合いは学校外がほとんどでした。なんとなく、みなが就職活動をする時期に なり、すこし出遅れて一応就職活動をしました。数社から好感触の返事がもらえました。 ただし、これが途中で「このまま流されていていいのか!」という感触に変わっていき、 徐々に「就職はしない!30までは好きなように生きる!」となってしまったのです。おそらく、学校のサークルにも入っていなかったし、基本的に遊び場は夜の新宿の飲み屋 だったので、そんな考えになってしまったのでしょう。あと、「若さ」の勢いです。今 だったら、絶対にそんなこと考えません。「若さは馬鹿さ」とはよく言ったものです。 その他、学生時代、バンドをやっていて、某大手プロダクションから「うちの預かりで やっていかない?」(今考えるとテキトーな言葉だな)などの言われたりして、結構音楽的 才能があるんではないか?などと勘違いしやすい状況にあった、というのもあります。 実はこのバンド、浪人時代から始めたもので、浪人時代〜大学2年の終わり頃まで月に一回必ず ライブをやっていたのです。今考えると、あれでよく大学受かったものだと思います。 基本的に「どんな状況でも好きなことをやる!」という性格だったのでしょう。このバンドは メンバー間の「方向性の違い」という、いかにもな理由で解散しましたが、その後もメンバー 各人音楽活動は続けていました。もちろん、私もいわゆる「ポピュラー音楽」の曲作りを 続けていました。友人のバンドのレコーディングに参加したり、コネでちょっとしたスタジオ ミュージシャンの真似事みたいなバイトをしたりしてました。 バンドをやっていた頃から、やはり「音楽理論」なども基本が大事というのも自覚しました。 楽譜を読むだけでなく、コードの理論などがわからないと、音楽はつくれないな、と思ったのです。 それからは、独学。とにかく電車に乗っているあいだはいつも「音楽理論」の勉強。読んで、頭の 中でギターの指盤に置き換えて・・・、とやっていました。この時、とにかく詰め込んだおかげで 今の私があると思います。理論はやらないよりはやっておいたほうがいい、矢沢永吉も「成り上がり」 で似たことを書いています。 そのような学生生活を過ごしていましたが、やはり自分のバンドが解散したトラウマは大きかったよ うで、やっぱり一人できる「クラシックギター」がいいかな、という、いかにもな状況がありました。 クラシックギターでは「学生ギターコンクール」で優勝していたので、イケイケ・ムードな感じもあ りました。 とにかく、私の大学生時代は、「音楽」にはまっていました。これがクラシックギターのみならず、 ジャズにも興味があり、1年ほど先生について勉強までしました(まったく身につきませんでしたが・・・)。 ついでにバンド時代の延長で、上で書いたように曲作りやスタジオのバイトの仕事(地方CMの音入れ 程度の仕事でしたが)などもやっていて、多忙でした。睡眠時間は平均3時間ほどでした。それでいて どれかひとつに決め切れなかった、というのが正直なところです。迷っている暇があったら、行動!、 という大学生時代でした。
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