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だれだろう?俺?Yotaか?
てなわけで裏日記です。
最近の変な生活、ある意味で「朝2時起きで仕事を片付ける…」みたいな生活をやっていたので、ばてばてで、昨日も仮眠のつもりが、完全に朝まで寝てしまって、結局、今この時間に原稿チェック(というか、書き直し?)をしている。
あまりにも最近多忙なので、こんな愚痴は裏日記的でいいな〜と。とはいっても、いやいやながらやっているわけではない。「アルベニスの生涯」は、たのしみながらやっている。プラト・ギタリスト辞典の翻訳に比べれば、とてもクリエイティブな作業だ。
だが、一方で、文章構成の力が求められるので、結構書き直しをしちゃっている。面倒くさいときは「全文消去!」である。
で、先日の「アルベニス…」の質問メールであるが、記念に掲載しておく。
質問…(81頁右段3〜4行)。
「当時のタレガのレパートリーは、ソル、アグアドといった作品…」
タレガはソルの作品を弾かなかったのではないでしょうか。
もう17年前の記事(No.270)ですが、濱田先生の書かれたもの(ギタ
ー作曲家列伝〜タレガ)を引用します。
「筆者にとっての大きな疑問は、プラトが指摘し批判するように、タレガがなぜソルを軽視し、演奏会でも取上げた形跡があまりないのか、ということである…」
「あまり」とあり?皆無とは書いてありませんが、これは、若い頃弟子の女性と二重奏をしたというプジョールの伝があるからで、演奏会のプログラムは自作か古今の名作の編曲に限られている、と続きます。
その後、何か発見があったのか……
2002年出版のターレガの公式バイオグラフィー本のものを参照いたしました。
この本の資料によると、ターレガがその演奏家キャリアの最初期に、ソル、アグアドの作品をコンサートプログラムに組み込んでいたことが分かります。
1880年以前のターレガが、アルカス、ブロカ、カーノ、ウエルタなどの同時代に活躍した作曲家ギタリストの作品、オペラや流行歌の編曲、フェルナンド・ソル、アグアドの作品
以上3つを中心にコンサートプログラムを組んでいたということが分かります。
その語1880年を越える頃になると、自作曲やピアノ作品の編曲などを中心に演奏プログラムを組んでいくようになります。それ以降、確かに演奏会プログラムにソルの作品が登場することはなくなります。
とにかく、自作曲をレパートリーの中心に据える以前のターレガは、ソル、アグアドなどの古典曲もレパートリーに加えていたことは資料より確認済みです。
プラトが問題視しているのは、演奏活動を頻繁に行うようになった頃のターレガがソルやアグアドなどの作品の伝承を行わなかったという点であろうと思います。
1880年以前、つまり1877年にアルベニスと出会った頃のターレガのプログラムは、アルカス、ブロカなどの同時代の作品とソル、アグアドなどの作品を中心に演奏していたと考えられます。つまり、まったく弾かなかったわけではなく、その後のプログラムが自作曲と編曲中心となっていき、その時点で名声を確立したということです。プラト(古典主義者です)は、ターレガという偉大なギタリストがソルやアグアドの作品をしっかりと伝承しなかったことを指摘しているのであり、ターレガがまったくソル、アグアドを研究、演奏しなかったということにはなりません。
私がアルベニスの生涯の連載を始めるときに、「最新の資料に照らし合わせて…」と書いているのだから、素直に信じればいいのである。現代ギターのみを資料としている読者の質問になんて、答えてやらね〜と一瞬思ったが、これはしょうがない、執筆者だしね、一応答えてあげますか…と以上のようなアンサーメールを編集部経由で送ったのである。
まずこれが、問題なのは、編集部経由で質問を送ってくるあたり。結局、なんらかの「穴」をほじくりたいのだ。
昔からクラシックギターのアマチュア研究家は多い。だが、彼らはなんらかの機会を狙って、プロを陥れようと考えているのだ。
基本的に匿名の質問には答えなくて良いと私は考えている。「アルベニスの生涯」の執筆者プロフィールのところにはしっかりと私のホームページアドレスが載っているので、私のホームページ経由でメールを直接くれればいいと思う。
それが、「正しい」質問の仕方である。
基本的に「匿名さん」に対しては、返答しなくてもいいと私は思う。今回は特別に答えたが、今後は匿名氏に対しては一切返答しないつもりである。
ギタリストにも日常があります