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最近、ちょいと興味があるキーワード。オカルトは嫌いなので、このあたりを冷静に分析した本を暇をみつけては読んでいる。なんだか脳の機能と関連がありそうである。記憶、経験などの蓄積が「直感」につながるのか?そうでないのか?…まだまだ未知の領域ではありそうである。
実際に「直感」に救われたことは数回ある。ドイツでの演奏会後、マドリッドに着いた。もともとドイツでこじらせた風邪が悪化。マドリッドの緊急病院に行った。その後、数日経ち、マドリッドの病院に残らず、住んでいたバレンシア・アルコイに絶対帰る!と思った。冷静に判断すれば、インフルエンザに近い症状だったので、医師には入院を勧められた。飛行機に乗るときも「自己責任」であるという念書をとられた。周囲の友人も、残ったほうがいいよ、と勧めてくれた。はたで見ていると歩くのも痛々しい雰囲気であったらしい。それでも、「直感」を信じた。結果として帰って正解であったのだ。
あまりにも症状が改善しないので、結局アルコイの緊急病院に行った。そこで、マドリッドで処方された薬を見せた。すると医師が「これを飲み続けていたのか!…あと2.3日飲み続けていたら確実に死んでたよ…」と言ったのだ。その緊急病院で処方された薬を飲んだら、あっという間に症状は改善。脳炎に近い病気だったらしく、もうちょっとで「死」だったという。
つまりマドリッド側の医療ミスだった。
そういう危機を何度か回避しているので、「直感」の存在と価値はとても信じているのである。これは宗教的な直感とはちょっと違う感じがする。私にとって宗教は「人が生きるための哲学」であって、売り物にするものではない。傍から見て、売り物に見えても本人にとって「哲学」になっているのであれば、それは否定されてはならないが。
これを何らかの売り物にしたときに、「直感」は失われる。人はそれぞれ本人の「直感」で生きていくべきものである。居心地のいいところにいれば、おそらく何のトラブルも起こらないし、ちょっとでも居心地が悪いと感じれば、それを「避ける」だけでいいのだ。でも「否定」はしてはいけない。他人の直感を否定する…そういう「似非宗教」がちまたに氾濫している。セルバンテスのドンキホーテを読めば、宗教とは何か?人が生きるのは何か?哲学とはなにか?…ということについて『若干の』ヒントが得られる。ドンキホーテという作品ですら『若干のヒント』なのだ…と思っていれば、他人の直感を『否定』するという態度はとれるはずもないのに。
ふかーく書く気はなかったのだけど、いちおう個人的見解です。なにに対して?…といわれると困るのだけど。とりあえず、今思ったことを書いただけ。実はそれほど深い意味はありません。
ギタリストにも日常があります