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富川ギター教室

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聴かせる演奏を目指せ!表現法講座

「楽譜どおりに弾くこと」の意味

「楽譜どおりに弾く」ことは間違い?

ルール:楽譜は作曲家の「これは絶対こうしてね!」という情報しか書いていない(場合が多い)

作曲家が作曲をするときにまず考えることは「イメージ」です。「ここは川が流れるように」とは 「鳥がさえずっている」とかを音で表現しようとするわけです。ヴィバルディの「四季」のように、 「ここで雷が轟く」とか書いてある場合もあります。ですが、そのように全て書いていては面倒くさいです し、音楽の決まり(楽典)にしたがって記譜した結果、楽譜になった、と考えるべきです。
つまり、まずは「作曲家のイメージ」「頭の中の音」「それを表現するのにふさわしい楽器を探して・・・」 「楽譜」という手順です。この過程を理解するといろいろなことがわかります。

過程1:「作曲家のイメージ」

作曲家のイメージは「水がさらさらと流れるように」「火山が爆発するように」といった自然を描写しよう とするものから「美女に街中であって一目ぼれ!ドキッ!」という心理を描写しようとするもの、 または「人は死ぬために生まれるもの・・・」といった哲学的なものまで、さまざまなイメージがあります。 「想像だけでは逮捕されない」という言葉があるように、人のイメージの広がりが広大です。 ああ、もう手に負えない、これはお手上げ、そんな作曲家のイメージまで相手してられない!と思った あなた。安心してください。完璧とは言わないまでもそれ楽譜からトレース(追跡)していく手段は残 っていますから。それは後述しますので、もうしばらくの辛抱を。

過程2:「頭の中の音」「それを表現するのにふさわしい楽器を探して・・・」

頭の中のイメージを忠実に再現する方法を作曲家は探すように苦心します。 「これは小鳥が楽しく鳴いているところだからピッコロで、ミレミレ〜ミレミレ〜 というフレーズで・・・」とかうーたらこーたら考えるわけです。
ここで重要!この「ミレミレ〜ミレミレ〜」が「ミラ♯ミラ♯〜」だったらどうでしょうか? (楽器がある人は弾いて見てね。あ、ピッコロじゃなくていいよ)。 多分「不安そうに鳴いている」という感じじゃないでしょうか?これは音と音の開き(音程) が関係しているのです。これは音楽理論の分野です。音程には人に与える様々な力があると とりあえずは思っておいてください。また、和音の進行も「落ち着いていく感じ」「続いていく 感じ」「裏切られた感じ」などさまざまなイメージを与えるものなので、このような技を様々 用いて作曲家は頭の中の音を楽譜に置き換えていくわけです。もちろんその音をどの楽器で 演奏させるかも重要なポイントです。
この文を読んでいる人はギター弾きが多いでしょう。作曲家がギターのために書いた曲はや はりギターで弾くことを想定して作曲したわけです。ですが「じゃ、俺はギターは結構弾けるし、 俺流のギター音楽をやるぜ!」という発想だけではいけません。これがギターではなくハープを 模したものなども多くありますし(例:ラウロ「セイス・ポル・デレチョ」)、もちろん、 心理描写したものもありますから(例:ヘンツェ「ロイヤル・ウィンター・ミュージック」) 結局は、作曲家がイメージをしたものを実現するのにふさわしい楽器としてギターが選ばれたに 過ぎないということを肝に銘じてください。

過程3:「楽譜にする」

以上のような過程を経て、楽譜が完成。「火山が爆発するところ」は絶対に強く弾いてほしい、 「恋に破れて衰弱死していく」ところは、悲しく静かーに死んでいって欲しい、とか作曲家にはこういう風 に弾いて欲しいというもともとのイメージがあるわけです。それを楽典上のルールの則って書くわけです。 そして前者ならばスフォルツァンド、後者ならモレンドなどとなります。

まとめ

つまり、逆に言えば、あまりにもわかりきったことを作曲家は書きません。音階がフォルテの部分に向 けて上向する場合、通常はクレッシェンドするのが自然ですし、曲の終わりはリタルダンドすることが多い、 など「当たり前となっていること」が音楽にはたくさんあります。コンピュータに音の長さと高さだけ打ち 込んだものが「音楽」とならないのは、この「当たり前」のことをやっていないからです。余談ですが、 テクノで有名なYMO(イエローマジックオーケストラ)はその自然さを否定するところから出発したといえます。 ですが、均質に見える音楽のうらに、坂本龍一、細野晴臣、高橋幸宏の3氏なだけに、絶妙なグルーブ (ずれ)があります。クラシック音楽のおいては、その事前の了解ごとを書かれてなくても実行しなけれ ばなりません。音楽家はその事前の了解ごとを学んでいき、そのルールをストックし、この場合はこういう 風にやるのかな、とか自分で探せるようにならなければなりません。
作曲家によっては、非常に細かく曲想を書き込んでいる人もいます。逆にまったく書かない人もいます。 このあたりのことは、時代背景、その作曲家の性格によっても変化します。このあたりのことも詳しくあとで 後述します。
つまり、この楽譜からトレースしていく作業を行うことが楽譜を「演奏する」ということです。 楽譜はあくまでも道しるべでしかありません。この作業を行うことが『楽譜に忠実に演奏する』ということ になります。
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