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最近、私も歳をとった。なんだかんだで37だもの。そうだからこそ20代のヤングたちとお話をすると、「ああ、君たちの年代って個性的でいたいのよねえ」と思ってしまって、自分もおっさんだなあ、って思うわけです。
まあ、それが悪いわけではないけれど、結局90パーセントのヤングたちは「個性的であること=良いこと」だと思っているのだけど、それはながーい歴史からみると「善」ではないのだなあ。そのことをはっきりと意識している人がとても少ない。上記の図式で考えてしまうと、「個性がないこと=悪」であって、それは逃げ場がないよねえ。自分を追い詰めてしまう。だからみなファッションにしろ、考え方、ライフスタイルのおいて個性的であろうとしちゃうんだよねえ。それがファッションとかそういう部分で個性的であろうとしたり、考え方の部分で個性的になろうとしても、実はそう考えた時点でまったく「個性的でない」場合が多いので、どんどん新しいものに走ろうとするのがパターンなのですね。それで結局お金と時間をつかっちゃって、なにも自分らしいものがなく終わってしまう。
そういう10代20代の若者、一杯見てきました。
結局、個性的であろうとすると、見えないもの(精神世界や哲学)に走る傾向があるのだよねえ。これが危険なのだなあ。もちろん真剣にやるならばいいけども。簡単に分かったふりができるレベルでやらないほうがいいんだなあ。
好きなアーティストなどの政治的な行動を自分の哲学にしてしまうという「愚行」もよくある傾向。私が尊敬するアーティストが「こういう運動をしているから…」というところに影響を受けてしまう。できれば音楽家は音楽のみを通じて何かを伝えて欲しいとは思う。
小田和正がミスチル桜井とコラボをするときに「俺、あんまり政治的なメッセージは好きじゃないなあ」といっていたと記憶しているけれど、これは音楽家として正しい感覚なのです。
あれこれ書いたが、まとまらない。でも、最近の若い子(20代)の行動パターン、思考パターンについて、ちょっと危険を感じるので書いておいた。無個性でいいんですよ。まったく無個性で。個性を追い求めよう、自分は他人と違うんだ…などと考えているうちは、本当に正しいものなんてなーんも見えてこないと思います。
ギタリストにも日常があります