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…というのはとっても大事。これがないとおそらく音楽家としてはやってはいけない。
好奇心が高まれば、自然に知識はつくはずである。勉強というものはまさにそのことをいう。好きこそものの上手なれ…という言葉にもそのことが含まれているような気がする。
素直な子供であれば、ギターの音域が広がっただけでも興奮する。新しい音一音増えただけで、それに感動するのだ。「あたらしい振動数」は絶対に耳に何か新しい感覚を与えるはずなのである。
こういう好奇心と素直な感受性が失われる。失われた人と話しているととても苦痛。レッスン時に作曲家やギタリストの逸話を話をするとき、私はいつも「わくわく」しているのだ。それに対して「わくわく」を共有しようとしない生徒とのレッスンははっきりいって苦痛でしかない。
もちろん、それぞれのレベルに対して話題などは変える。しかし根本にあるのは音楽の美しさ、そしてそれに関わった音楽家達の逸話が中心となる。基本は初心者だろうが、上級者だろうが「わくわく」は変わらない。
俗に「プロ志望」という言葉を耳にすると、「人より正確に弾ける」とか「指がスムーズに動く」とか「音楽的解釈がすばらしい」ということになるのかもしれないが、その根本にあるのは絶対に好奇心である。好奇心なく長年にわたって音楽をプロとしてやっていくのは不可能である。教えるにしても、演奏活動をするにしても、また執筆や編曲でやっていくにしても、絶え間ない好奇心がその原動力となる。その結果でてきたものを目指していては、どこかで挫折するような気がする。
幸いにして周囲にいる付き合いのあるギタリスト、音楽家には好奇心の塊のような人が多い。実に気持ちがいい付き合いである。音楽家として長く続けている人はなお更で、どの人の話をきいても得られることがたくさんある。
最近以上のことを考えた。
ギタリストにも日常があります